月別アーカイブ: 2017年3月

【ラトヴィア】オーロラが見える?

ラトヴィアでオーロラが見えるのでしょうか?

リガの近辺で撮影したという、オーロラの写真や動画がSNSに投稿されているそうです(新聞記事はこちら)。

オーロラは磁極付近の上空で発生する、大気の発光現象です。北半球では、北緯60~70度付近で観測されることが多いようです。地球は球体なので、発生地域から遠ざかるにつれて、天空上の位置が低くなり、やがて地平線の陰に隠れてしまいますが、まれに北海道あたりでも見えることがあるそうです。

リガは北緯57度くらいなので、北海道よりは高緯度ですが、オーロラツアーのメッカとも言うべき、カナダのイエローナイフやフィンランドのラップ地方に比べればずっと南です。本当にオーロラなのかなあ、見えたとしてもショボいものじゃないのかなあ、などと疑ってしまいましたが、画像を見てみると、なかなかそれっぽいものが写っています。

冬の夜空は星がきれいですが、たまにでもこうした天空のショーが見られると思うとわくわくしますね。

 

【リトアニア】独立回復の日

3月11日というと、あの地震のあった日を思い出してしまうのですが、リトアニアでは独立の回復を祝う日となっています。1990年3月11日に、独立国として主権を回復する、との宣言が議会で議決されたことを記念しているのです。

バルト三国は、第一次大戦のあと、ロシアの支配からいったん独立を達成したのですが、その後独ソ間の秘密協定や、第二次大戦時の占領によってソ連に併合されました。80年代末の民主化運動を背景に、独立を回復したのはよく知られたとおりです。

国の誕生日を記念する日の認識については、バルト三国で微妙な違いがあります。

ロシアからの独立と、20世紀末の独立回復を国家イベントとして、祝日制定している点は同じですが、その重み付けに国柄というのか、歴史認識が反映されているように思えます。

リトアニアの場合、この2つに加えて、13世紀のリトアニア王国の成立にまつわる建国記念日があります。そのため、第一次大戦後のロシアからの独立は国家の再建ととらえられています。

ラトヴィアでは、1990年の独立回復の記念日はあくまで宣言が行われた日との認識であり、もうひとつの日が独立記念日とされています。リトアニアの記念日を伝える記事も、この祝日の歴史的意味やヴィリニュスで催されたイベントの様子を淡々と報じているだけのように読めます。

エストニアでも、独立記念日があるのはラトヴィアと同じですが、独立回復の祝日はリトアニア同様独立回復の日ととらえているようです。

ロシアの支配を脱した記念日は三国異なれど、来る2018年は同じくそれから100周年を迎えるわけで、それぞれのセレモニーに国のアイデンティティが示されるのでしょう。

 

【リトアニア】カウナスの新バスターミナル完成

改装していたカウナスのバスターミナルが完成したようで、いくつか写真が載っていました(記事はこちら)。

それによると、新ターミナルには21のプラットフォームがあり、従来の対面型の切符売り場に加えて、リトアニアでは初めて切符の販売機を設置。また、遠隔地からもアクセスができるそうです。200台収容の地下駐車場や、駐輪場が完備されている… などとあり、リトアニアだけでなく東欧地区で最も近代的なバスターミナルであると謳っています。

工事には900万ユーロを費やし、総面積は13,200平方メートル、一日当たり10,000人以上の利用があり、700を越える都市間、国際バス便があるそうです。

昨年開業した新宿のバスターミナルのオープン1ヶ月の利用者は、一日あたり約20,000人、便数は約1,200だそうで(国土交通省の資料による)、それと比べるとそこそこ健闘しているように見えます。別の資料では新宿のターミナルの敷地面積は1.47ヘクタール(=14,700平方メートル、ただし2階の人工地盤の面積だそうでバスの発着は3階と4階で行われていることを考慮する必要はあります)、停車場15バースとのことなので、かの地の規模感が推し量れます。

カウナスはヴィリニュスから鉄道で往復したことがあるのですが、バスで訪れたことはなく、バスターミナルがどこにあるのかも知りませんでした。丘と川に挟まれた小さな町だった記憶がありますが、それなりに人の往来があるのでしょう。

ポーランドのワルシャワから、バルト三国を経由してフィンランドのヘルシンキに達する高速鉄道の計画があるらしいのですが、バルト新幹線ともいうべきその新しい路線は、リトアニアの区間ではカウナスを経由するそうで、完成の暁には、さらに交通の要所としてのポジションを強化することになるのかもしれません。

【ラトヴィア】家系図作成サービス

日本でも家系の調査、あるいは家系図の作成を請け負うサービスがありますが、ラトヴィアでも同様の調査をしてくれるという記事です。

国立公文書館という、カチカチのお役所?が、70ユーロの調査費用で調べてくれるそうです。家族の姓、名前、出生届、婚姻届、死亡届といった、対象を特定する情報を提供する必要があります。期間的には6-12ヶ月、場合によってはそれ以上かかるとはいえ、1万円以内で引き受ける、というのは安い感じがします。

日本では家系図作成ソフトというのもあるようですが、サービスの場合は費用数万円からあるようで、片親のみ、両親、配偶者の家系も含める、などのヴァリエーションによって価格設定がされているケースが多いようです。多くのサービスは、明治時代の戸籍を調べることにより、200年くらいの過去であれば比較的容易に作成ができるようなことを謳っています。このほかにも家紋や寺の過去帳、古文書を調べるなど、探偵まがいの調査を行って、さらに古い先祖探しをするところもあるようです。ラトヴィアの場合はどこまでさかのぼることが可能なんだろう?

自分の先祖は誰なのか、どこから来たのか、といった思いは洋の東西を問わないと、記事を見たときは思いましたが、ラトヴィアの場合は、言語的にも民族的にも異なる周囲の大国のはざまで翻弄されてきた歴史があり、家系のとらえ方も知識的興味の側面が強い日本とは違って、アイデンティティが重視されているのではないか、家系図というより血統書のような意味合いがあるのではないかと、かの地の人たちの発想を考えてみました。