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【アラスカ】カブトムシによる森林被害

カブトムシというと、長い角を一本伸ばした、黒っぽい昆虫のイメージがあります。

小学校の夏休みにどこからか手に入れてきて、虫かごの中に押し込んで、スイカの切れ端か何かを与えていたような記憶がありますが、これの仲間がアラスカで大発生して、広範囲に樹木を枯らしているらしい。

現地の新聞の電子版によれば、spruce tree(トウヒ)が spruce beetle による集団被害を受けて、米国森林局の最新の発表では今年、558,000エーカーの森林が被害を受けた、2016年からの総被害面積は100万エーカー近くにのぼる、ただしこれは空からの観察なので、実態を反映しきれていない…

ちなみに1エーカーとは0.004平方キロメートルなので、55.8万エーカーは2,258平方キロメートル、100万エーカーは4,047平方キロメートルに相当します。参考までに、国土地理院の平成29年全国都道府県市区町村別面積調(URLはこちら)によると、東京都の面積が2,193.96平方キロメートル、滋賀県の面積が4,017.38平方キロメートルになっています。

spruce beetle などのキーワードで画像検索してみると、カブトムシというよりカナブンとかカミキリムシ、ハンミョウのような、積んだ材木の陰からこそこそと出てきそうな連中の写真が上がっています(アイキャッチの画像は spruce beetle とは直接の関係はありません)。
このカブトムシはもともとアラスカに住んでいて、温暖になると発生するので、大発生の原因として専門家は気候変動や、温暖化によって2年かかって成虫になっていたライフサイクルが1年に短縮された可能性を挙げているようです。

このカブトムシの専門サイトがあって、水をかけて落としたり、限定量の殺虫剤を使うなど、対策をアドバイスしているようですが、もし食い荒らされてしまったら、木ごと切るか、枯れた木を取り除くしか手はないそうで、規模の大小はあれど、庭の植木や果樹がダニや蛾の幼虫などにやられたときと同レベルの対応をするしかないことに、意外性を感じています。

Photo via Good Free Photos

【アラスカ】アッツ戦75周年記念イベント

1940年代の対米戦争では、開戦の舞台となったハワイの真珠湾や、戦局の転換点となったミッドウェイ、消耗戦を演じたガダルカナル、多くの犠牲を出したサイパンやフィリピンなど、中部太平洋での戦闘に目が向けられることが多いように思いますが、北太平洋、それもどちらかといえば極北に近い領域であるベーリング海でも、日米の交戦がありました。

東のアラスカ半島と、西のカムチャツカ半島を、艫綱のように結んでいるアリューシャン列島の中央部にある二つの島を舞台に、日本軍と米軍との間で繰り広げられた戦闘から、今年は75年にあたるということで、アラスカのアンカレッジで記念のイベントが催されたようで、アラスカの新聞に紹介記事がありました。

内容としては講演会、パネルディスカッション、展示会などのほか、日本人監督によるドキュメンタリ映画の上映が企画されています。全体的に戦闘そのものよりも周辺のエピソード、この地域の先住民に及ぼした影響に焦点が当てられているように思いました。

二つの島というのは、アッツ島:面積893平方キロ(佐渡島(同855平方キロ)よりやや大きい)とキスカ島:面積278平方キロ(西表島(同289平方キロ)より少し小さい)です。太平洋戦争におけるアリューシャンの戦いというと、日本側ではアッツ島での玉砕、キスカ島からの奇跡の撤退といった、どちらかといえば結末部分の軍事行動について語られることが多いと思います。それも確かに歴史の一面だとは思いますが、二つの島の占領時のいきさつや、最終的な戦闘に至るまでの状況については知られていない、あるいは伝えられていないように感じます。

本サイトとしては、周囲から隔絶された北の海に浮かぶ火山島で、どのような暮らしが営まれているか、といった事柄に興味があるのですが、現在この二つの島は立ち入りが制限され、住人はいないらしい。ですが記事を読んで、1942年の占領時、アッツ島には住民がいて日本に連行された、占領に際して死者も出ていた、ということをはじめて知りました。

戦後、アッツ島の住民は本国に帰ることができましたが、島にあった村は破壊され、帰島は許されずに今日に至っているそうです。何がなし、小笠原の硫黄島と似たような状況ですが、平穏な暮らしを送っていた市井の人々から静かな日常を奪い、戻すことをしない(できない)現実の非情さが、紹介記事の隅々から伝わってきます。

上述のドキュメンタリ映画は、夏に日本でも公開が計画されているようです(参考サイトはこちら)。

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【アラスカ】アラスカ・ダブルワーク事情

本業のほかの収入源のことを副業などと呼んでいます。ダブルワークという言葉もありますが、これはサラリーマン、公務員などの勤め人が、本業の勤務時間外に、やはり給与形態の仕事をすることをさすようです。

アラスカにも、こうしたダブルワークに携わる人たちがいるようで、先日地元の新聞に記事が載っていました。元ネタはアラスカ州の労働・職業訓練局なるところが出しているレポートのようですが、新聞社らしく、幾人かのダブルワーカーへのインタビュー記事を添えて、盛り上げています。

複数の仕事先を持つ人の割合は、2016年時点で全米では5%ほどらしいのですが、アラスカではこれが11.2%に跳ね上がる(2015年)。アラスカというと、自然豊かな寒冷地のイメージがあって、事実、一時的な季節労働も多いようなのですが、ダブルワーカーに職種を尋ねてみると、小売店員とか介護職員、レジ係、飲食店従業員、清掃員など、日本の求人雑誌でもよく見る、常連職種がならんでいて、現代社会はどこでも同じなのか、の感慨が否めません…

トータルの収入という点では、ダブルはシングルほど稼いでいない。ひとつの仕事先に勤める人のほうが、収入が多いそうです。あくまで平均的な結果ですが、二股をかけるような勤務をする人に対しては、それなりの評価しか与えられない、ということなのでしょうか。自分の時間を犠牲にして、別の仕事に携わろうとするのは、収入のアップというのが有力な理由と思うのですが、人より多く働いて、報酬はそれ以下、ではやり切れませんね。

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【アラスカ】アメリカに売却された日

帝政ロシアがアメリカ合衆国にアラスカを売却した1867年から、今年は150年めにあたります。地元の新聞が、アラスカの購入に関する条約の調印が行われた3月30日に、そのいきさつや今日的意義を書いています(記事はこちら)。

ロシアが支配地を放棄するにいたった背景とアメリカが購入した理由、当時の両国内での評判などが書かれていますが、気候変動による温暖化が北極に及ぼしつある影響、およびその状況を反映しているかのような、ロシア・アルハンゲリスクでの国際フォーラムでの人々の発言を取り上げているあたりに、今日的課題を感じます。

ロシア、アメリカの双方が、こうした極地帯の領有と開発の歴史を通じて、先住民の存在を軽視してきたと反省している、というのが、タイトルにある second thoughts なのかな、とも思うのですが、こうした視点に、ローカル紙らしさが見えるような気もします。