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【極東シベリア】凍った路面での転倒

5月になると桜前線も上陸して、北海道にもようやく春がやってきます。
しかし天候が崩れて荒れ模様となることもあり、連休前に釧路で降雪があったようです。

さて、北海道よりもさらに北、シベリアにクラスノヤルスクという町があります。
そのクラスノヤルスクでも先日、時ならぬ雪が降ったと、地元の新聞の電子版が伝えていました。

シベリアの冬というと、日本に比べれば降雪量はともかく、寒さは半端ではないだろうと、まるで冷凍庫のようなイメージが浮かんできます。
自分は3月にシベリア鉄道でイルクーツクからモスクワまで旅したことがあるのですが、もう極寒の時期は過ぎたのか、思ったほどの寒さはありませんでした。
停車中にホームに降りた、クラスノヤルスクもノヴォシビルスクも、上空には冬の関東地方のような、抜けるような青空が広がっていました。

冬、北の国でやっかいなのは路面凍結です。
降った雨や解けた雪が凍って、路面がつるつるになるわけです。
こうした道を歩くときは、自分も気をつけているのですが、それでもつるっと転倒することがあります。
なるべく低速で歩き、重心を下げて、転んでも大事に至らないようにしていますが、横断歩道で滑ったときなど、みっともなくて仕方ない…

同じ新聞が以前、人が転倒して救急車で運ばれた一件を載せていました。

クラスノヤルスク市内の公園の近くの路上で、女の子が転倒して、縁石で頭を打ったらしい。
通りがかりの人が、下にダンボールを敷いてやったり、断熱マットのようなものを買ってきてくれたりしたおかげで、凍らずに済んだ…
とあるので、彼女は意識を失っていたか、自分では立ち上がれない状態だったのでしょう。
路上に横になること30分ほど、ようやく救急車が到着。
やってきた医師は診察もせず、彼女を車内に担ぎこんでしまった、とても不思議な感じがした…
と、この一件の始終をSNSに書き込んだジャーナリストが感想を述べて、短い記事は終わっています。

雪国の路上転倒など日常茶飯事であろうし、いくら救急車が登場したといっても、命には別状なかったようなので、どうしてそんなことがニュースになるのか、と最初思いましたが、日常茶飯事であるから事務的で機械的になるお役所の対応と、日常茶飯事であるからこそ、凍ってしまわないように温める、北国に住む市井の人々の助け合いのようなものが対比されているようで、興味深く感じられました。

【極東シベリア】国際猫ショー

サハリンのユジノサハリンスクで、国際猫ショー(Международная выставка кошек)なる催しが開かれたそうです。

主催したのは国際猫連盟(World Cat Federation:WCF)という、素人目にはうさんくさそうな?組織で、アヴァンタージ(Авантаж)という猫愛好家の団体が企画したものであるとのこと(WCFのサイトはこちら)。品種もさまざまな猫74匹が、青年の部・成人の部ならぬ青猫?の部・成猫?の部のそれぞれに出展し、モスクワやハバロフスク、エカテリンブルクから招待された専門家が評価したり、人気投票が行われたりしたようです。
出展した猫たちとは別にセールも行われて、気に入った子猫を選んだり、のちに譲ってもらうべく飼い主と交渉したりするシーンが見られたようでした。

品種としては、シベリアン、アビシニアン、スコットランド、カーラー、ベンガルとかいった名前が並んでいるのですが、門外漢にはさっぱりわからない…

ロシアには、猫をならして芸をさせる芝居小屋があるそうで、あのなつかない連中をあやつれる人たちというのは、どんな才能を持っているのだろう、と常々思っているのですが、こうした猫ファンの底辺のような場所におじゃまする機会があれば、そのあたりの秘密がわかるのかもしれません。

Photo via Good Free Photos

【極東シベリア】千島列島で命名された島

先日、ロシアが千島列島の無名島に名前をつけた、との報道がありました。

ユジノサハリンスクの新聞で、本件に関して3つの記事を見つけました。

一つ目は2月12日の地元の速報記事のようで、千島列島の5つの島に命名したとして、島名にしたらしい5人の名前を挙げています。ロシア地理協会サハリン支部というところが音頭をとって決めたそうです。

二つ目はモスクワの中央紙引用で、こちらは多少詳しく書いてあります。千島列島の地理的な説明に始まって、今回対象になった島々へのかかわりのいきさつ、命名された人のプロフィールなどが書いてあります。ただし、最初の地元速報記事とは、人名が少し異なっています。

三つ目は地元紙が、今回の命名に対して日本政府が抗議した、と伝えるものです。内閣官房長官が、外交ルートを通じて抗議した、と記者会見で述べた、と書いてあるだけ。

島の名前に割り当てた人とは、地元記事によると、デレビヤンコ、グロムイコ、ファルフトディノフ(Фархутдинов)、グネチコ、シェティニナの5人。中央紙のほうはカピッツァ、ファフルトディノフ(Фахрутдинов)、グネチコ、グロムイコ、シェティニナ、デレビヤンコの6人の名前を挙げていて、ちょっと訳し切れていないのですが、グロムイコとシェティニナは連名で名づけられたのかもしれません。

島の場所については、最初の3人の名前がつけられたのは、色丹島の近くである、と書いてあるだけ。グロムイコとシェティニナにまつわる島については、得撫島の北にある、と読めます。最後のデレビヤンコ島はアヌーチナ島の北東端、ペチャリヌイ岬の近くにある、とあります。アヌーチナ島とは、日本では秋勇留島と呼ばれている島です。面積は200平方メートルだそうで、15メートル四方くらいしかない?

カピッツァというのはロシアの物理学者、シェティニナさんは世界初の女性船長だそうで、オデッサからカムチャツカまで船を指揮してやってきたとのこと。ファルフト…って綴りが違っているのですが、この人はかつてのサハリン州の知事さんで、乗っていたヘリコプターが墜落して遭難した人です。グロムイコはソビエト時代の政治家。知事さんはともかく、ほかの人は千島とのつながりが読めない。

さて、あとの2人は第二次世界大戦の対日戦関係者です。グネチコはソビエトの軍人で、占守島の戦闘などを指揮して、千島の占領に当たった。デレビヤンコもソビエトの将軍で、日本の降伏文書の調印に際しては、東京湾上のミズーリ号の上で署名している写真が残っています。

でもデレビヤンコさんは、対日戦の現場で実際にドンパチしたわけではないだろうし、まして千島とは無関係のはず。グネチコさんは確かに島伝いに南下してきましたが、得撫島で引き返し、南部千島は樺太からやってきた部隊が占領したはずです。

となるとこの命名は、歴史的な事跡に基づくというより、政治的なメッセージであるとしか見えない。先の地元紙には、地理協会の支部長さん?のコメントとして、1945年の日本の降伏によって、この島がロシア地図に登場した、その降伏調印にかかわったのがデレビヤンコ将軍だ、といった文章があり、今回の発表の意図がうかがい知れます。